1962年京都生まれ。京都市立藤森中学でバレーボール人生をスタートする。2年生の夏から主将を務める一方、セッターとして活躍するはずが、あまりにもセッターとしてのセンスの無さに、同級生にポジションを奪われる。3年の夏にはアタッカーとしてスタメン入りし京都府下で準優勝。近畿大会への出場が叶うが、中学生最後の大会で主将でありながら補欠になり、人生において初めての大きな挫折と屈辱を味わう。
高校は洛陽工業を選んだ。自分の中学からは誰も進学しない高校で活躍し、みんなを見返してやりたいという思いからだった。1年の秋からセッターとしてレギュラーになり、2年のインターハイ予選で京都府下準優勝。2年生の夏から主将を務め、春高予選は準決勝で洛南に敗れ、インターハイ予選は部員の不祥事で初戦敗退。3年では最後の国体京都予選で準優勝を果たし引退。
経済的事情により高校卒業後は大学進学を断念、三菱自工京都に入社。9人制実業団で活動。京都で総合優勝数回、全国大会出場多数、近畿実業団ベスト4までの戦績をのこし27才で現役引退、そして転職。
実業団引退後は「一杯飲みドギーズ」という社会人クラブチームを立ち上げ、京都で時々勝っては、時々全国大会に出場。現在代表者。また40歳になってからは、過去に近畿で戦った者同士が集まって結成したチーム「パラダイス」にも参加、2004年からマスターズ出場。2006年の広島大会では全国準優勝という快挙を成したが、その時は応援団長だった。(笑)
バレーボール指導については、1993年から3年間、京都選抜チーム(中学生女子)のアシスタントコーチを務めたことがきっかけ。その後、母校である藤森中学女子バレーボール部の外部コーチを13年間務め、京都府下優勝2回、全国大会出場などの戦績を修める。またその他にも小学生のクラブチームや選抜チームの指導も行う。
バレーボール技術と並行してコーチンングやNLPなども学び、子どもたちに“夢”を持たせる独自の手法で、“叱らずして子どものやる気を引き出す指導”が評判を呼ぶ。現在は某電機メーカーで管理職を勤める傍ら、2007年より本郷真也ブランドのバレー塾『気づいて築くバレーボール』を主宰、平日の夜、週末をフルに活用し、常時50人を超える子ども達を指導している。これまでの15年間で指導してきた生徒は既に400人を越える。






























